波乱万丈な管理人の自己紹介 PR

アライ(サイト管理人)の22歳からの転職ストーリーと自己紹介・プロフィール

アライ
アライ
初めまして、「ええ既卒・第二新卒.com」を運営しているアライと申します。ここでは、現在に到るまでの僕の転職活動や当時に考えていたこと、プロフィールをご紹介しています。

僕の簡単な自己紹介として、

■名前&運営者 アライ
■ええ既卒・第二新卒.comのURL https://kisotsu-dai2.com
■出身 千葉県
■現在の仕事 海外営業とwebマーケター
■経験社数 4社(土木・飲食・金融・商社)
■掲載記事に関して 1.掲載の参考データについては、厚生労働省日経の公式情報などから引用しています。

2.また、体験談の記事は「実際にその体験をして就職・転職活動に成功した人」が執筆、もしくは「執筆者の実体験」に基づいた内容となっています。

3.口コミ・評判は以下の引用となります。

  • Googleナレッジパネル
  • Twitter
  • 該当のサービス公式サイト
  • 各種掲示板
■PRポイント
  • それなりの大学出てるから余裕だろうと調子に乗っていた新卒の就活は70社以上エントリーし惨敗
  • 1社目をわずか3ヶ月で退職し第二新卒になるというアドバンテージ
  • キャリアプランを明確に考えずになんとなく派遣社員への道へ進んでしまった愚かさ
  • 3社目を適応障害にて退職(クビ)になるという絶体絶命の状況
  • 再度「転職サイト」を利用しブラック企業に入りかけてしまった経験
  • 今まで既卒・第二新卒専門、大手転職エージェントなどを含め30社以上の転職サイト、転職エージェントを使用

というように、一般的に考えると非常に不利な状況からホワイト企業へ「転職エージェント」を利用して転職成功させた知見をフルに活かし「僕のようなジョブホッパーでも転職活動を成功させる」人が一人でも多くなるように情報発信、サイトを運営しています。

また、本サイト運営メディアの経験から、大手企業の就職・転職関連の記事執筆も担当しています。

プロフィールについてなんとなくお分かり頂けたかと思います。

現在は4社目の企業にて6年目ですので、ジョブホッパーであった以前の僕からは少しでも成長できたかなと考えています。

このページでは「新卒で入社した企業〜現在のホワイト企業入社に至るまで」をストーリー仕立てでご紹介しています。

興味のある方はぜひ最後まで読んでいってくださいね。

クソみたいなブラック企業に新卒で入社してしまった!

僕は、大学在学中に六月に早く内定をもらったという理由だけで、とある建設資材(土木・建築)のメーカーに入社しました。

同期は約30人程、1ヶ月間の研修では皆揃って座学や実地研修、ロードローラーの免許取得講習などそれはそれは充実していて楽しいものでした。

一ヶ月の本社、技術研究所での研修の後にそれぞれ配属先へ赴くのですが、ここからが地獄の始まりでした。

配属二日目で胸倉をつかまれ、勤務時間はもちろんやる事がなくても上司が帰るまで帰れないという状況が続きました。(今思うとパワハラも結構ありました。)

研修という名目で、日中は営業や事務処理、深夜は現場に派遣される事が多く、最長で深夜の2時まで働いていました。(もちろんお金は出ません)

絶対に断ることのできない休日出勤、内容はよくわからない会議。

求人票の「完全週休二日」とは一体なんだったのか…今考えると異常ですが、当時はそんな余裕すらありませんでした。

そんな中働いて気づいたのは、あまりに起きていると眠れなくなるという事。

深夜に帰ってきてシャワーの前で立ち尽くし、気づけば出社の時間になっている。

朝は七時前には出社し、事務所の掃除。何の為に働いているのかわからなくなってきました。

よくわからない、謎の黒いものに包まれる感じをなんとなく実感しました。

ある日、日曜の仕事(笑)から帰ってきた後、ふとテレビをつけると「イッテQ」がオンエアされていました。

ボーっと何も考えずに見ていると、画面の向こう側の「世界」というフィールドが少なくとも、自分が置かれていた環境とは違って、何処かきれいに見えました。

あくまで、憧れという意識しかなかったのですがここで僕はよくありがちな、

「英語」を身に着け、世界でも通用するようなそんな人間になりたい、そんな淡い夢を見るようになりました。

しかし、昔から僕は英語が大嫌いでした。

でも、やるしかない、なりたい自分になるために、、、。

そんな思いを胸に、苛酷な労働環境の中、ちょっとした時間を見つけては単語帳を開き、イヤホンでリスニングの練習をしました。

休憩中などは僕が何をしているかなんて回りも気にかけなかったのが幸いでした。

勉強は大学受験以降絶対にするもんかと意地を張っていましたが、後には引けないという覚悟、そして今の環境とはまったく違う所で活躍をしている、そんな妄想の中の自分がモチベーションになっていました。

ただモチベーションは保つ事ができても労働環境はもちろん変わるわけもなく、、、。

2015年7月14日、僕は上司に退職願を提出しました。

予備の退職願数枚と、ボイスレコーダーを準備していったのに意外とあっさり事が進んだのには拍子抜けしました。

そして退職後は一旦学生時代に住んでた家に帰省するのでした。

憧れのみで始めた英語の勉強

「英語を身に着けたい」

そんな漠然な思いで始めた英語の勉強、そして世界を見てみたい→留学というなんともテンプレートな考えをもっていました。

留学には何が必要か・・・お金。

なので1社目を退職したその10日後、僕は職種をしっかり考慮せず、「お金をためる」という事のみにフォーカスしたのと(後になってもう少し考えとけばよかったと思いました。笑)

一人暮らしをしていた為生活費を巻かなくてはならない焦燥感から、とあるホテルが展開している飲食店でホールスタッフ兼バーテンダーとして働くようになりました。

「もしかしたら外国の方と話せる機会があるかもしれない」などというありもしないような期待をちょっと胸の内にしまいながら…。(実際に一回しかそういった機会はありませんでした笑)

これも完全に憧れや「やってみたい」のみですぐに入社を決めてしまいました。

僕のいたところはいわゆる高級店。

客層や人間関係もその辺の居酒屋とかに比べたらマシなのでは…?

そう思っていました。

蓋を開けてみると、実際はそうではなく自分の想像と働き方がだいぶかけ離れており、かなり泥臭い仕事ばかりでした。

一方留学の方に関してはというと、また、同時期にとある都内の留学エージェントにも

「1年後に留学をして自分を変えて、武器を持って帰国する、そして英語を使った仕事がしたい」

と相談をし、その日の内に留学の前金16万円を入金、後には引けぬと自分を追い込む状況をわざと作りました。

当時の留学予定はオーストラリアに1年間、ワーキングホリデーで料金を計算した所、

見積もりがざっと150万円、、、前金を引いてその134万円、、、その時入った派遣の仕事では一ヶ月の収入は平均して18~19万円。

一年でこの金額をためるには収入のほとんどを貯蓄に回さなければいけませんでした。

正直、自分一人でいる時には結構けちなのでいいのでしたが、友人と集まるとなると、なかなか上手くいかずやきもきしていました。

どうしても飲みなどがあると、その分のお金も捻出しないといけないので結構かつかつでした。

英語の勉強に関しては、仕事の昼休みの休憩中、そして帰ってからも日付が変わるまでやっていました。

幸い、早くても9時半起床であったので睡眠不足などにはなりませんでした。

飲食店は所詮飲食店!?憧れだけで入ってはいけない業界だという事に気づく

仕事内容はというと、いくら敷居が高いお店だろうと飲食店は飲食店。一般のホールスタッフと同じように働いていました。

お客さんから注文をとって、それをキッチンの人に伝える。

しょっちゅう喧嘩をしているホールとキッチン。

下手したらホールとキッチンの仲を取り持つ事、ホールのお局様のご機嫌取りをするのが一番大変な仕事だったかもしれません…笑

知識についてはテーブルマナー、カクテル、ワインの名前等を覚える事はできましたが、実際に将来に結びつくような営業スキル?のようなものは得る事ができませんでした。

4か月も働いているとスピードに差はあれど、仕事にも慣れ、内容も覚えてきたのですがあるとき上司に呼ばれ、

「ホールの仕事はこれで全部教えきったからね」といわれました。

普通のホールスタッフやアルバイトとなんら変わらない仕事内容、特に給料も上がるわけでもなく、僕はフリーズしました。

更にこの時僕は、

「これから変化のない仕事で毎日同じ事の繰り返し、しかも飲食店、絶対自分が将来着かない仕事で働き続ける事には何か意味はあるのだろうか。いくらお金を貯めるだけとはいえ、もっと違う仕事が自分には向いているのではなかろうか。若いうちにいろいろチャレンジしてもいいのではないか。」

そう思ったのもありますし、最初は良く(?)してくれていたお局にもなぜか段々と嫌われ非常にしづらくなり追い込まれる事も多くなりました。

理不尽な要求が増え、憧れだけで就職先を決めるとこうなってしまう…という事は十分にわかりました。

退職前には、労基違反じゃないか?というくらいにシフトに入れさせられ、12月31日まで働いていました。

次の転職先を決めるに当たって、事務系というまったく違うジャンルに挑戦してみようと仕事を探し始めました。

「自分はコツコツとした作業をするのが向いている、昔から図工とか好きだったし」

そんなお世辞にも自己分析とは言えない自己分析をしつつも次は絶対に失敗しないと心に決めて就職活動に臨もうと考えました。

2社目に見切りをつけて退職という選択肢を選ぶ

2015年12月31日に僕は二つ目の飲食店での仕事を退職しました。

最終出勤日は皮肉にもとても暇だった事は覚えています。

無事に退職の手続きは終える事ができましたが、「留学の為に1年働いてお金を貯める」という行動指針からは一度外れる形になってしまいました。

正直、僕はメンタルが強いほうではありません。

自己都合で退職するという形にはなりましたが、本当は僕自身が「接客」をするという事自体にすごくストレスを感じていたという事実がそこにはありました。

生活や留学の為の貯金をする為だけとは言っても、また仕事を辞めてしまった。

自分の中で罪悪感ともいい難い、よくわからない感情がぐるぐる渦巻いてたのを覚えています。

どちらかといえば、憂鬱。

そんな精神状態で年末年始を過ごした後、「働かなければ」「お金を貯めなければ」と焦る気持ちを胸に、1月4日あたりから本格的に仕事を探し始めました。

上記で書いたように、探していたのは「事務系」の仕事。

昔から動き回るより、黙々と静かに集中して物事に取り組む事が得意でした。

だから自分に向いてそうな気がする、そんな軽い気持ちを持っていました。

また、独学で進めていた英語の方に関しては、TOEICでいうと2015年8月575点から、2015年11月時点で700点にまであがっていました。

転職サイトに登録し、英語も少し使っていきたいという思いから「英文事務」「外資系」などという夢みがちなキーワードで仕事を探していました。

実際に事務系の仕事を探してみて、以下の事を知りました。

  • 事務系の仕事は場所にもよるが、比較的単価が高い
  • 未経験で事務となると採用難易度が上がる(実務経験を求められる)
  • 紹介予定派遣という決まった期間を派遣で働き、その後雇用者・労働者双方同意の元、正社員になれる制度がある
  • ちょっとだけ英語を使う、未経験でも英語を使えるという求人案件は全体の1割程度

上記の通り、僕は当時すでに二回も退職、さらに英語や事務の実務経験も無し…。

もちろん書類選考で落ちる数はかなりの数でした。

英語を使わない事務の仕事でもほとんど惨敗…。

そんな中でも面接にいけた企業がいくつかありました。

数打てばあたる、これを身に染みて感じたのを今でも覚えています。

その中のとある都内の一つの企業に面談に招かれました。

英語は使わないが時給も高い、ここなら受かったら入ってもいいかなあと、ふわふわした気持ちで面談に向かいました。

面談会場に入るとそこには華奢な男の人が一人、「ようこそ」とだけ言って出迎えてくれました。

3つ目の職場が決まった!?

面談会場で出迎えてくれたその華奢な男性(後にこの男がメンドクサイ存在になるのだが笑)と僕は席に着きました。

ちなみに雰囲気はアイキャッチの画像のような雰囲気の人でした、雰囲気だけ…笑

彼の自己紹介で判明したのがその男性は僕の担当の営業担当であり、彼の所属する会社と非常に関係の良い会社へ僕を紹介する予定との事も聞きました。

自己紹介後、その男性が突然、「君さ、今後どうして行きたいの?」と僕にたずねてきました。

僕は自分は前職二つを短期間で辞めてしまったその経験から自分に向いている仕事を暗中模索している。

また、こつこつ取り組む事が得意であるので今回事務系での仕事を探している事、将来は英語も使って仕事もしてみたい事等を伝えました。

後は、他の会社でもよくあるような普通の面接しました。

その間男性は何も話さず、ただ黙って僕の話を聞いていました。

僕がひとしきり話し終わると、「いやー君、話を良くしようとしてるのは分かるけど、本当の事話してみ?多分さ、会社どっちもブラックだったから辞めたんでしょ?あと、英語に夢見すぎ。」

と言われました。

僕は「あー落ちた」と思い始めていたので、半ばヤケクソで

  • 「確かに会社はブラックだったので辞めました。」
  • 「正直、自分に向いている仕事も分かりません。」

と伝えると、その担当はなぜか大爆笑。

やっぱりね、でも確かにブラックだとは思うよ。そーやって本音で話してくれた方がありがたい。あと、英語に夢見すぎって言ったのも、俺海外に6年住んでてTOEICも満点なのよwwwそんな俺が今こういう仕事してるし、実際英語を使う仕事といっても君の想像しているキラキラしているものとは違うかもしれないよ。

そう言われて、僕は何も言えなくなってしまいました。

しかし、英語に関してはこうは言われても、今までの努力を否定されるような気がして英語の勉強は諦めようという気にはなりませんでした。

それに、やっぱり英語は海外にいればそりゃあ喋れるよなあ。

なんて思ったりもしてました。

その後の面談はほぼ雑談や仕事内容の簡単な説明でした。

面談開始が13時で終わったのが大体14時ごろ、結果は後ほど連絡するとだけ最後に言われその日は帰宅しました。

浜松町から上野で乗り換える途中に一本の電話が、、、先程の面接担当からでした。

面談は無事合格、急で申し訳ないけれども面接は明日か明後日でお願いしたい、と言われ次の日に面談を申し入れました。

面接官と面談をし、その日の内に合格を貰って次の日に面接を設定。

新卒として就活をしていた時も、「合格者は連絡が早くくる」と良く言われ、実際に僕もその経験をしました。

面接前のあの緊張する感じはいつになっても慣れません…。

次の日の面接は、僕と面接官の三人で行われました。面接官は現場を仕切っているマネージャーとその上長(責任者)でした。

面接内容の方はというと僕が自己紹介した後、テンプレートな志望動機や自己PRの質問を受け、面接の半分以上はほぼ雑談で終わりました。

結果は採用(その場で採用が決定しました)。

面接が終わり握手をし、その日は面接官の人と食事にいく事になりました。

仕事内容の確認や初出勤日について話し食事を終えた後、「じゃあ、よろしくね。」とお店の前でここでも握手を求められ握手してその日は帰宅。

1月下旬から新しい職場で念願であった、しかも人気の高い事務職での仕事でデビューを果たせる事にこの時点では、安心していました。

初出勤の日、職場に着き挨拶を済ませた後、仕事についての詳細な説明を受けました。

ここの職場は簡単に言うと、主に弁護士や債務者、裁判所の間で取り交わされる様々な書類を仕分けしている所であるとの説明を受けました。

具体的な内容については割愛しますが一言で言ってしまえば、

「仕分け」を担当している部署、仕事が1~10であるとすれば1、2の部分を担当している事との説明を受けました。

期待した初出勤日から時間はあっという間に過ぎ、気づいたら半年が経とうとしていました。

仕事が始まってみれば時間ややることも決まっている、仕分け仕分けアンド仕分け、、、そんな日々が続きました。

その日に来る膨大な量の仕分けはいつになっても終わらない、しかし、終わらなくてもその日のノルマが達成していれば問題ありませんでした。

一番大変なのは郵便物が貯まる月曜日。

また、僕がいた部署はチームリーダーが僕と同い年の女性でした。というより、僕以外全員女性…。

職場全体で通してみても全体の八割以上が女性。

しかも一番年上でも30代、、、男性は指で数えられるほどしかいませんでした。

何となく感じたいやな予感、でもそれは気のせいだろうと自分に言い聞かせ毎日毎日同じ作業を繰り返していきました。

時間、やる事、全てが決まっていました。

マニュアルがなかったので業務の説明は全て口頭、それについていくのが必死でした。

加えてミスが許されない、そんな環境下にあるのにマニュアルが整備されていない事に不信感を覚えた為、

空き時間を利用してExcelで自分専用のマニュアルを作成していました。

しかし、入って9ヶ月程たった頃に事件は起きました。

陰湿ないじめが始まり途方にくれる毎日

三つ目の職場に入って5、6ヶ月程すると、僕はある程度仕事に関する知識も身について、

仕事中にも自分の意見や考えをどんどん発信していくようになりました。

やる仕事や時間が毎日決められそれ以外の事はしない、変化のない毎日を脱却したいが為に声を上げていました。

しかし、僕が出しゃばってると考えたのか、それを良しとしなかった人達がいたのです。

僕の周りの女性陣(特に同じチームの)でした。

仕事中に僕に対して行動や仕事の進め方に関して文句を言われるようになり、終いには自分のミスも僕のせいにしてでっち上げられたり、仕事中の質問なども全て無視されるようになりました。

特に波風立てるような行動もしていませんでしたし、仲の良かった数少ない男性陣(上司除く)はいつも僕の事をフォローしてくれました。

また、周りの上司は見て見ぬふり。

職場内には小部屋と呼ばれるミーティングルームがあるのですが正社員・上司の連中は何をしているのか、

一日中そこに篭りっきりで本当に困ったときに立場の弱い派遣であった僕を助けてくれるような人は、近くにはいませんでした。

また、上司もいざ話を聞いてくれるとは言っても最初は話を聞いてくれたのですが「今は踏ん張り時」「入って半年が何を言っているんだ。」のスタンスでした。

頼る事ができない上司、何かあるとすぐに切れる女性陣、段々と僕自身が荒んでいくのが分かりました。

9、10月に入ると毎晩お酒を飲むようになりました。ストレスから逃げるために。体に悪い事とは分かっていても飲んでしまう。

「職場に行けば何かとつっかかられる」当時の僕はそれが怖くてたまりませんでした。

実際、職場に行けば無視、陰口は当たり前。「あ、いじめってこういう事か。」と考えたのを覚えています。

お酒では飽き足らず、市販の薬にも手を出しました。

精神を安定させられるものが欲しい。その一心でした。

もともと僕はメンタルは強くないのですが、まさかここまでやられるとは自分でも思いませんでした。

市販の薬やお酒で自分をだましだまし出勤し続け、しまいには、地元の心療内科クリニックに通うようにもなりました。

診断結果は適応障害。(おそらくこういった診断が出ないと薬は処方されないので、こういう診断書を出したのだと今になっては思います。)

もう今の所属している所では限界だ、営業担当に言って分からないのであれば、マネージャーに診断書を持って直接提出してやる。

そう思い、診断書を持って現場を仕切るマネージャーの下へ直談判しにいきました。

「仕事は辞めたくありませんが今の部署では限界です。部署変更をしてください。」

その言葉と同時に医者からもらった適応障害の診断書を提出しました。

後にこの行動が自分の首を絞めるとは思いませんでした。

3社目をクビになる

マネージャーに「適応障害」と書かれた診断書を提出した後、周りの上司の雰囲気が変わり僕に話しかけるようになりました。

全員こぞってもれなく「大丈夫か」と。

その度に僕は皮肉交じりに「大丈夫じゃないです。」と答えていました。

それ程ここでの職場の陰湿な空気、同調圧力、輪から外れたらオシマイ。

そんな雰囲気がひしめいていました。

診断書を出してから二週間後、さすがに堪えたのか気づいたら自分で、貯まっていた有給を使って休みを取る事になりました。

「1週間休みをください。」

そう上司にお願いをし休みに入る週の一週間は何とか持ちこたえました。

そして、最後の金曜日。僕の上司の上司に当たる人から仕事終わりに一本の電話がありました。

「君、再来週から来なくていいよ。」

僕は「は?」と聞き返しましたが、営業担当からは「悪いけど、もう決まった事だから。」の一点張り。

それでは納得がいかないと詰め寄ると、簡単に言うと「病人は職場に置けない」という話を聞かされました。

余りに突然の戦力外通告に怒りよりも呆然とするしかありませんでした。

その後すぐにエレベーター前で僕の部署の上司(?)であった女性に、「ありがとうございました」と言われましたが、何も言う事ができませんでした。

というより何も言いたくありませんでした。

職場は高層ビルの上の会にあったのですが、7階ほどのロビーに向かうと、上司から1本の電話がありました。

「今回残念な結果となったけど、忘れて飲みにでも行こう」

キレかけましたが、僕は知らない間にその連絡先をブロックしていました。

こうして2016年11月15日に突然無職になった僕は途方に暮れ、月末まで引きこもっていました。

引き篭もっている間にも、就職はしなければならないと半ば焦りを感じていました。

とりあえず、第二新卒でも使える転職サイトを手当たり次第に登録、チェックしてはいましたが、やはり転職活動はエネルギーを使うので、体を動かすのが億劫でした。

3回目の転職に突入した僕

11月は引き篭もっていたので、12月から転職活動を始めました。

このときには留学はほぼ諦めていました。

こうなってしまった以上、後に引けない。

であれば、今の英語力で英語を使った仕事で正社員になるしかないという考えにいたっていました。

当時僕はIT系に興味がありました、特にSEやWEBクリエイターに(非常に安直な考え方でしたが…)。

理由は

  • 「やった事がないから」
  • 「何となく興味があった」
  • 「PGで探した時に英語を使える仕事の案件が多い」

の三つがありました。

転職サイトへの登録

まずは様々な転職サイトに登録しました。大手や中小、合計10社は登録したと思います。

12月中は基本的に上記の通りIT系を中心に見ていました。

登録したサイトの求人を眺めながら働いてる自分を想像しつつ、最初は一人ででパソコンの画面とにらめっこをしていました。

意外と書類選考はスムーズに通り、12月の第一週には既に一次面接が入っている状態でした。

僕が受けたIT系はほとんどが派遣型と呼ばれるもの(はっきりいって常駐型の仕事は本当にオススメできません。)

面接を進めて行き、すんなりと12月第三週には内定を持っている状態でした。

しかし、余りに早く決まりすぎると「ホントにこの会社でいいのだろうか」と疑問も出てくるもので、どうしたらいいのか分からない状態。

なかなか内定先を決められずにいました。

加えて、IT系は就職先を間違えてしまうとブラックに入ってしまう可能性がある、というのは転職活動を開始する前にも某匿名掲示板などで良く見ていました。

今となってはこの踏みとどまりがかえって良かったのかな、と思います。

結局、内定(ほぼIT関係)は全て辞退。

「良く考えなければ後悔する」と、直感で感じたのです。

自分の考え、本当はどういった仕事についてみたいか等について真剣に考える時間を作る為、そして年末という事もあり1月から就活をしようとまたスタート地点に立つのでした。

年末年始でいろいろ考えた結果、1度は諦めてしまった「営業」で求人を探す事に決めました。

1月になり企業が動き出し始めた頃と同時に、僕も動き始めました。

僕は、既に登録していた転職サイトの求人ではなく、「既卒・第二新卒」の求人を多く取り扱っているマイナビジョブ20’sのみにフォーカスして就活を再開。

僕は社会人として二年目ではあったのでぎりぎり第二新卒で就活を進める事が可能でした。

第二新卒の定義はあいまいですが世間では「卒業後、三年以内に一回以上退職経験がある人」といった認識があります。

就活をするにあたり、まずはエージェントの人と面談をするのですがその際に僕は、「ホワイト」「英語はなるべく使いたい」この二つの条件を担当の人に伝え、

そこから求人を探してもらう事がファーストステップとなりました。

「規模」や「知名度」には全くこだわりがありませんでした。

上記の二つの条件にマッチする所は、商社が多く、次いでメーカーでした。

正しい方法で就活をすれば大丈夫!

僕は転職活動で出会いましたその内の一社に今現在勤めています。

期間としては大体三ヶ月くらいで現在の企業に決定しました。

現在勤めている会社は商社で英語を使うことができ、残業もほとんどないホワイト企業です。

正直大変なときもありますが、自分のやりたい仕事に就くことができてよかったです。

こんな僕のように、

  • 転職回数が多くて悩んでる方、第二新卒の方、もちろん新卒・既卒の方にも有力な情報を発信したいと思い

このメディアに詰め込みました。

最終的には、あきらめずに行動するのが一番なのです。

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